自身の片割れのような存在を易々と切り捨てられるか?というお話【倉狩聡:かにみそ】
自分の中に大きな要素として入り込んでしまったものを取り除くのは、相当な苦痛を伴う。
それは、腫瘍が宿主の体から切除されるときに痛みや出血を伴う様子に似ているようにも思う。
そんな存在ができるきっかけは、同じ苦痛を一緒に分け合ったり、長い時間を一緒に過ごしたり、一人きりでは抱えきれない巨大な秘密を共有したりすることから始まったりするんだろう。
倉狩聡さんの短篇「かにみそ」は、主人公と、彼が偶然出会った蟹とが奇妙な共生関係を築く物語だった。
主人公は蟹に愛着をもって、熱心に住処や「エサ」を提供する。蟹は嬉々としてその「エサ」を享受し、また主人公になついていく。
蟹がどんどんと成長して「エサ」の調達が難しくなったころ、蟹の方から主人公に別離が提案される。主人公はそれを受け入れ、涙とともに蟹を食らうのだった。
「ヒト」と「蟹」とが友情とも愛情とも定義しがたい関係で繋がり、別れる話だから、そしてその過程が若干おどろおどろしいから、この作品は奇妙でホラーチックなものに思えるが、これが「ヒト」どうしの関係を描いたものだったなら、文学にカテゴライズされてもおかしくないほど純な作品だったと思う(そうして欲しいというわけでは決してないが)。
僕たちが片割れ、相方どうしになるくらい親睦を深めた他者と別れるとき、内心でその存在を葬り、忘れようとする様子は、泣きながら仲良しだった蟹を平らげる主人公と、もしかしたら同じ心境なのかもしれない。